「ACL(前十字靭帯)再建の手術をするかしないか」というのは私にとってはとても難しい決断だった。
最初、ACLの再建手術について調べ始めた時は、ACL断裂なら再建手術はした方が良いという情報が多く、特に日本の情報は手術をしないで治す保存療法よりも再建手術の方が多数派という印象を受けた。そして理学療法士に話を聞くと、ニュージーランドの事故補償制度で手術や前後のリハビリも手厚くカバーされるとわかった。それなら、またピックルボールもやれるようになるんだし、手術を受けようかな、というのが最初に持った考えだった。
とはいえ、今時はありとあらゆる情報が溢れているので引き続きACL断裂について調べていくと、手術をしない派の人も割と多く、むしろその方が最近の傾向なのではないかと思うようになった。私を診てくれた外科医の先生だって、ピックルボールをしたいなら手術が必要だけど、そうでなければ手術は必要ないとはっきりと言っていた。そして何より、怪我をしてから3ヶ月経つ頃には、もうすでに日常生活にはほとんど支障がない状態で、痛みもない、膝の曲げ伸ばしに支障もない、立ったり座ったりも問題なし。その上ジョギングやヨガ、直線的な動きしかないスポーツであればできるようになるという。そうなってくると、自分にとって本当に手術が必要なのか?という疑問の方に傾いていった。
ACL再建手術についてウェブサイトやYouTube、AIなど様々なメディアから情報を収集してみると、脚の別の部位(ハムストリングや膝の前)から腱を採取してきて、膝にドリル開けた穴に通してACLの代わりにするという何とも複雑な手術に思えた。誰だって、不必要な手術はしたくないのは当然のことだろう。特に現状で何も問題がない場合、手術をしたことによって慢性的な痛みや不具合が出る可能性だってあるかもしれない。
そのような二つの想いに揺れつつも、リハビリを続けて左脚の力を取り戻していく日々が続いた。2週間に1回は理学療法士の方と話す機会があり、その度に「手術どうする?」「今はしない方に傾いている」など相談しつつ、ついに左脚と右脚の力の差を測定する機会がやってきた。怪我をしてからちょうど5ヶ月を迎えていた。測定方法は座って片足で前にある板を押し、何キロのおもりを上げられるかいう方法だった。20キロ台の軽めなところから始めて、徐々に重くしていった。最終的に1回しか押せない重さまでいったらおしまいだった。この日のためにリハビリも頑張ってきたので自信はあったが、思ったとおり左脚と右脚の脚力は同じくらい、むしろ左脚の方がやや上回っている状態になっていた。確か最終的には60キロ台のおもりを押すことができた。ただ、板を押すときに左脚の方がより努力が必要な感じがする、という点を除いてはほぼ同じに回復してきていることがわかった。そして、この状態まで来れば手術をする準備はOKということになるらしい。
そうなると、いよいよ決めなくてはという段階になったのだが、私の中には手術へ向かうモチベーションがあまりなかった。このまま保存療法でも、脚を鍛えていけばお遊び程度のピックルボールならできるようになるかも、という思いもあった。実際に、ACLを断裂したけど手術をしないまま今もピックルボールをやっているという人にも会ったことがある。その人は50代くらいの女性で、5〜6年前くらいにACL断裂をしたが当時は断裂していると気づず、後からわかったので手術をしないままになってしまったらしい。今もピックルボールをできてはいるが、最近膝の調子が微妙な感じらしく、私には手術を受けた方がいいんじゃないかとアドバイスをくれた。他にも、YouTubeで手術をしないままスキーをしたりしている人がいたり、そんな例を見聞きするうちに手術しなくても大丈夫かもという淡い期待が湧いてきたのだった。
このままでは時間だけが過ぎていくし、私には手術をやるのなら早めにやっておきたい理由もあった。そこで、ちょっと試しにピックルボールをやってみることを思い立った。脚の力も戻っているようだし、本当に軽くだけ無理せずにやってみて、もし何ともなく全然できそうと思えるならこのまま保存療法にしてみようと思った。これはお医者さんや理学療法士さん的には絶対おすすめしないやり方かもしれないけど、私の性格的には手術をやるかどうか決めるためには必要なステップに感じられた。
そんなわけでいつも通っていた日曜日のクラスに娘と共に出かけたのだった。その日は人数が少なかったので、最初の15分は娘と二人で軽いラリーやディンクをして体を慣らした。無理なボールは取りに行かない、というのを徹底できたしこれくらいなら全然問題なくできる感じがした。次の15分はいよいよ他の人たちと混ざって試合だ。軽くやるよ、と皆に宣言もして、やっぱり試合は楽しいな、と思っていた矢先のことだった。私はネットのそばまで前に出ていて、頭上を超えていきそうなボールがきたのでちょっとだけジャンプをして打とうとした。そして着地をした瞬間にまたあの膝がグキとずれるような感じ、になった。片足で着地をしたのか両足で着地をしたのかはわからない。普段片足でジャンプしても問題ないはずなのにきっと咄嗟のことでバランスが崩れていたのだろう。ああ、またなってしまったと落ち込みつつ、試合は中断してベンチで休んだ。それは私にとっては自分の膝が不安定であると知る強烈な体験だった。日常生活ではそれまで一度も揺れやぐらつきは感じたことがなかったのに、やはりスポーツというフィールドはレベルが違うんだなと思い知った。
この経験を経て、私は自分の脚がリハビリによって強化していけば軽いピックルボールくらいできるようになるかもしれない、という希望にはすがらないことに決めた。たとえ、リハビリだけでスポーツ復帰できる人がいたとしてもそれはごく一部の限られた人だけだろう。だってあんな風にズレてしまうのを、周りの筋力だけで補えるようになるということは相当なことだと思うからだ。そうして、次の理学療法士との面会の日までには、私の中で手術を受けるという決断が固まったのだった。
そこからは話は早くて、理学療法士から外科医へ予約を入れてもらい、手術日と手術前の相談日が決まる。ニュージーランドの事故補償制度はとても手厚くて、手術を含めて手術前後のリハビリのコストもカバーしてくれるし、手術によって仕事ができなくなる分の収入もある程度補填してくれるとのことで、そういった組織の人々と電話やオンラインで話し、たくさんサポートしてもらった。こういうところがニュージーランドのシステムは自動化されている部分が多くて、こちらから申請などをしなくても向こうから連絡してきてくれる仕組みになっているのがとても素晴らしく、有難いものだなと思った。
さて、次はいよいよ、どきどきの手術当日の様子をレポートしたいと思う。

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